Prologue
物語は、当時住んでいた家の庭先で始まりました
それは、利根川の向こうに茨城県の取手市を臨む、千葉県柏市の一角にあるニュータウンに住み始めて、しばらく経ってからの出来事です
その家は、周りを緑に囲まれ、表通りから離れて人通りも少なく、自然に恵まれた閑静な街並みの中にありました
これからお話しする「はんはん」が生まれた故郷は、とても穏やかな街だったのです
「はんはん」は、20年の生涯を横浜で終えました
柏から横浜に連れてきたことが、よかったのか、よくなかったのか、今でも正解はわからないのですが、「はんはん」が幸せな生涯を共にしてくれたことを信じて、その足跡を辿っていきたいと思います
そう、「はんはん」は、黒猫です
とてもかわいい女の子でした
Chapter 1 ・・・出会い
柏に引っ越した当初から、家の周りや道路で元気よく遊び回っている「はんはん」の姿を目にしていました
当時は、生まれてまだ10カ月くらいのやんちゃな盛りで、一緒に暮らしていた兄妹といつも一緒に過ごして毎日が楽しそうな様子でした
「はんはん」は、この地域で暮らしていたお母さんが、ある日、向かいの家に預けていった3人の兄妹のひとりです
お母さんは足が不自由で、普段から食事の世話をしてもらっていた家の家族を信頼していたのでしょう
それ以来、お母さんは姿を見せなくなったと聞いています
お母さんがいなくなった寂しさは当然あったと思いますが、それでも兄妹で助け合い、新しい家族からも厚い愛情を注いでもらい、幸せな毎日を過ごしていたことと思います
一年くらい経った頃でしょうか
声をかけても、いつもピューッと逃げていた「はんはん」と初めて言葉を交すことができました
たぶん、内容は、こんな感じだったのかな
「…ちゃん、こんにちは、初めましてかな、どうしたの?元気ないね」(…当時は別の名前でした)
「こんにちは、お腹が…」
「お腹空いたの?ごはん、食べようか」
週末の昼過ぎ、たまたま居間の窓越しに「はんはん」を見つけて声をかけたのが始まりでした
おそらくは「はんはん」の見回りのコースだったのでしょう、家の庭先を通る姿はよく目にしたのですが、その日は、いつもと違う何かを感じたのです
実は、そのころの「はんはん」は、新しく家族に迎えた子猫の「遊んで、遊んで」攻勢に圧倒されていたらしく、家を離れることが多くなっていたと聞いていたので、もしかしたら十分にご飯を食べていないのかなと、心配はしていたのです
そんな時のために(?)用意してあったご飯を軒先に置いてあげたところ、あんなに警戒心が強かった「はんはん」が、一生懸命食べてくれたのです
ホットした安堵感や、やっと話すことが出来た達成感など、いろいろな感情が湧き上がってきましたが、幸せをもらえたという気持ちが一番強かったのを覚えています
その日以来、我が家に寄ることが少しずつ増え、距離もだんだん近くなり、しばらくして、家の中でご飯を食べてくれるようになりました
Chapter 2 ・・・友達から家族へ
出会った頃の「はんはん」がいつも見つめていた世界は何処だったのでしょう
部屋まで上がってご飯を食べてくれるようになっても、食べ終わるとすぐに出て行った「はんはん」が、何処に帰っていたのか、帰らなければならなかったのか、天国で会ったら聞いてみたいです
「こんにちは」だったのか、それとも「ご飯まだ?」だったのか分からない日々が続きましたが
だんだんと、ご飯の後には毛繕いをしたり、うたた寝をしたり、家の中を探検したりするようになりました
それでも必ずどこかに帰っていきました
どんなに寒くても、雨が降っていても、それは変わりませんでした
兄妹に会っていたのかも知れません、他にお友達がいたのかも知れません
我が家は気を許せるレストランだったのかな?なんて…
当時の関係を振り返ってみれば、「はんはん」にとって、親切なお隣さんから始まって、かろうじて友達くらいの相手だったのかも知れないです
そんな月日が廻ったある日、こんなことがありました
買い物に出かけて、だいぶ暗くなってしまってから、車で帰ってきた時のことです
最後の曲がり角、そこからわが家まで直線で50メートルくらいなのですが、そこを曲がった時に、我が家の門柱の陰から、半身を乗り出してこちらを見ている「はんはん」がヘッドライトの光の中に浮かび上がってきたのです
その後のことはあまり覚えていないのですが、「嬉しさ」とか、「ごめんね」とか、そして「愛おしさ」の感情が洪水のよう溢れ出てきました
「どこ行ってたの?」と、問い詰める「はんはん」を抱きしめて謝るしかありませんでした
わが家が「はんはん」の「帰るところ」になったんだと、この時確信することが出来ました
そう、「はんはん」は掛替えのない家族になったのです
それからは、自然と「はんはん」と共に過ごす時間が増え、足元にすり寄ってくれるようになり、オデコを撫でさせてくれるようになり、膝の上にも乗ってくれるようになりました
お腹も見せてくれるようになってからは、ついつい抱き上げてしまったのですが、実は抱っこはあまり好きではなかったようです
今思えば、全てを理解したうえで「しょうがないなぁ」と、我慢してくれていたのでしょう
寒い季節は布団にも入ってきて一緒に寝ることも普通になりました
生活が、「はんはん」中心になっていくのは当たり前ですね
夜中に見回りに出かけても、帰ってくるまで待つのが日課にもなりました
家族で旅行に行くことも無くなりました
それでも、幸せでした
とても幸せでした
Chapter 3 ・・・旅立ち
「はんはん」は生まれ故郷をはなれ、旅に出ることになりました
新しい家族が、横浜へ引越すことになり、一緒に行くことを決めたのです
「はんはん」が6歳になる少し前のことでした
この頃には、新しい生活にもすっかり慣れ親しんで来ていましたが、外に出ていく習慣は変わりませんでした
集会に出ていたのか、縄張りを見て回っていたのか、どこかでおやつを貰っていたのか、本当のところはわかりませんが、一度出ると1時間から2時間くらいは戻ってきません、1時間以内に帰ってくることは一度もありませんでした
「はんはん」にとって生まれ故郷はとても大切な場所だったのです
引っ越すなら、一緒に来てもらいたいと願う一方で、猫にとって生活環境が変わることは大きなストレスになるということも聞いていたので、一緒に連れて行っていいのか、元の家族とともに暮らすべきなのか、最後まで気持ちの整理がつきませんでした
引越しが決まったのが年の暮れで、年末年始を挟む時期は人の移動が極端に少なくなり、新しい家を見つけるのに苦労しました
それというのも、物件が少ないうえに、「はんはん」が一緒に来てくれる前提で、ペット可の家を探していたからです
今では珍しくありませんが、当時、ペットの飼える賃貸マンションは無いに等しく、限られた戸建も「犬ならOK、でも猫はNG」な物件ばかりでした
結論を出せないまま、時間だけが過ぎていく中で、「はんはん」も悩んでいたのだと思います
言葉には出しませんが、全てを理解したうえで、一緒に行きたい気持ちと、知らない街で暮らすことへの不安な気持ちが「はんはん」を迷わせていたのでしょう
ようやく引越し先が見つかったのは翌年の2月に入ってからでした
引越しは搬出と搬入が同じ日にできなかったので、2日がかりの大仕事になりました
「はんはん」を連れて行くには、搬出の前日から搬入の翌日迎えに戻るまで静かなところに預けないといけないので、ホームドクターにお泊りの予約も入れておきました
元の家族にも一緒に連れて行くお願いもしました
あとは「はんはん」の気持ち次第です
引越し前日のXデイのことです
そろそろ病院の予約の時間が近づいてきた頃、いつものように「お外に行く」と言って、窓辺からこちらを見上げてきてしまったのです
窓を開けないという選択もあったのかも知れませんが、「はんはん」の気持ちを最優先することが大切だと思っていたので、「はんはん」が残りたいというのなら仕方ない気持ちで窓を開けました
でも、思いはしっかり伝えました
「一緒に横浜に行くのなら、30分で戻ってくるんだよ、ちゃんと帰ってきてね」
その問いかけに、どう答えようとしていたのか「はんはん」の表情から伺うことは出来ませんでしたが、ちょうど30分後、窓の向こうにこちらを見つめる「はんはん」の姿があったのです
「一緒に行くよ」
親バカにしかわからない、でもしっかりした「はんはん」の気持ちを受け止めることが出来たのです
横浜での搬入とエアコンの工事を終え、翌朝「はんはん」を迎えに病院に直行しました
最初は飲まず、食わず、出さず、鳴かずだったそうです
横浜に向かう車中でも、初めて見る高層ビルを目を真ん丸にして眺めていました
「はんはん」にとって一世一代の大冒険でした
そして、新しい冒険の始まりです
Coffee Break
「はんはん」という名前は、彼女の鳴き声に由来しています
「はんはん」は猫らしく「にゃー」とか「みゃー」と鳴くことが、特に若いころはほとんどありませんでした
小さい頃は”おてんば娘”だったようですが、いつも相手のことを思いやる優しい性格で、家を汚したり、障子を破いたりすることも無く、今思えば我慢ばかりしていたのかも知れませんね
そんな「はんはん」が声をかけてくるときの鳴き声が「はぁん、はぁーん」だったのです
Chapter 4 ・・・ハマっ子
慣れない病院でのお泊りと、初めてのロングドライブでストレスMAXだったのでしょう、新しい家に着いたときにはトイレに直行でした
新しい家の慣れない匂いや雰囲気にも不安を感じていたはずです
でも、好奇心にくすぐられたのでしょう、すぐに家の探索を始めました
「はんはん」のお気に入りは、納戸の隅の脚立の下、それから和室の押し入れの布団の上
一人でひっそり隠れているのが好きでした
そして、ご機嫌な時はお膝の上も大のお気に入りでした
横浜の生活に慣れるのにそれほど多くの時間はかかりませんでした
もちろん、故郷を離れ、兄妹とも別れた寂しさはあったはずなのに、心のどこかにしまって、顔には出さずにいたのだと思います
庭先にはウッドデッキがあったので、天気のいい日には日向ぼっこをしたり、虫を追いかけたり、楽しそうに遊んでいました
どこまで出かけていたのかわかりませんが、柏で習慣となっていた外の見回りにも出かけていました
当時は、周りにも地域猫がいたので、仲良くさせてもらっていたのかも知れません
ある時、口を大きく膨らませて帰ってきたことがあって、何が起こったのか咄嗟には分からずビックリしてしまったのですが、「はんはん」の口の中にはスズメが咥えられていたのです
きっと「見て見て、スズメを捕まえたよ!」と、自慢したかったのでしょうね
褒めてあげたかったのですが、くせになると困るので、放してあげるように言いました
幸い、元気だったようで無事飛び去り一件落着
スズメは捕まえられたのに、カラスは苦手でした
一度ベランダにいたときにカラスに威嚇されて怖い思いをしてからだと思うのですが
カラスの鳴き声がしただけで、ビクッとしていました
お留守番もできました
でも、帰りが遅くなった時には、玄関のドアの向こうに「はんはん」のシルエットが「どこ行ってたのーっ!」と叫んでいました
「はんはん」にも他のネコと同じように人間にはない特殊な能力があったようです
仕事先から「帰るコール」をいれると、電話が鳴る前に、寝ていた「はんはん」がむくっと起き出して教えていたそうです
家の近くに近づくと、靴音を遠くから聞き分けることもできたようです
きっと、家の車の音もわかっていたのでしょうね
「はんはん」との暮らしが、そして毎日が、当たり前のように過ぎていくようになりました
ソファやベットをちょっと引っ掻くことはありましたが、いたずらはそれくらいで、それ以上の安らぎを「はんはん」は与えてくれました
生活のすべてを穏やかなにしてくれたのです
でも、横浜に来て3年くらい経ったとき、そろそろシニアの年頃になり始めたとき
「はんはん」は大怪我をしてしまったのです
一周忌を迎えて (2021/5/11)
今朝、明るくなり始めた東の空を「はっち」が何かを探すようにじーっと見つめていました
しばらくして安心したようにまた眠りにつきました
きっとお姉さんとお話ししていたんだろうなぁ
今日は5月11日、「はんはん」が亡くなって一年が経ちました
振り返ると「まだ1年?」という思いと「やっと1年だね」という思いを日々何度も繰り返してきた気がします
「はんはん」を亡くした悲しさと、「はっち」と「はんじ」という新しい家族を迎えた喜びを、日々の暮らしの中で入れ代わり立ち代わり思い抱いてきたからなのだと思います
「はんはん」への思いは1年経っても薄れていくどころか、ますます強くなっているかも知れません
「はっち」と「はんじ」には怒られるかもしれませんが、「はんはん」は特別なんだなぁと1年忌を迎え改めて感じています
それは「はんはん」への「ありがとう」という思いが「はっち」と「はんじ」と暮らす中からも溢れてくるからです
同時に「もっと…」何かしてあげられることがあったのではないかという後悔に似た思いも募ってくるからです
1年前の夜10時半ころ、何度か苦しそうにしたと思った途端「はんはん」は、あっと言う間に逝ってしまいました
最後の数か月は闘病に苦しんでいたので、その時が来る覚悟はどこかでしていたのですが、あまりにも唐突だったので心の準備はできていませんでした
病院の先生からかけていただいた「最後は苦しまなかったと思います」という言葉がせめてもの救いでした
最後の数時間は意識もなかったのでしょうが、それでも心配かけないように最後まで頑張っていた「はんはん」の気持ちを思い返すと今でも涙が出てきてしまいます
見えなくなった目で一生懸命に見つめてきた「はんはん」
動かなくなった体を引きずってトイレに這って行こうとした「はんはん」
大嫌いな薬を我慢して飲んでくれた「はんはん」
……
甘えることより我慢することが多かった「はんはん」
そんな「はんはん」が愛しくて寂しくてたまりません
一年忌を迎え、出会ってから18年の月日に亘りたくさんの幸せを授けてくれた「はんはん」への感謝の気持ちをこれからも大切にしていきたいと思います
夜中にもかかわらず「はんはん」のお清めをしてくださった病院のスタッフの皆さん、葬儀の前に温かい言葉をかけてくださった先生、看護師、スタッフの皆さん、ありがとうございました
厳粛な中に温かな葬儀を執り行っていただいた霊園の皆さん、ありがとうございました
いま私たちの心を支えてくれている「はっち」と「はんじ」、ありがとう
「はんはん」はまだ私たちの心の中で生き続けています
「はっち」と「はんじ」も時々家の中で在らぬ方向を見つめていることがあります
きっと「はんはん」がそこに居るのでしょうね
三回忌を迎えて (2022/5/11)
「はんはん」が亡くなって2年が経ちました
悲しみを忘れるために時間が早く過ぎていくのでしょうか、この1年がとても短く感じられます
「はんはん」への思いは薄れることはありませんが、失意や後悔の気持ちより「ありがとう」と思うことが多くなってきています
「はっち」と「はんじ」との新たな暮らしへと導いてくれたのは紛れもなく「はんはん」だと思っています。その二人を見ていると、ついつい「はんはん」はこうだったね、ほんとに偉かったね、我慢強かったね…と比較するように「はんはん」のことを思い出しています
そして「きっと今は天国で幸せに暮らしているね」と、思うことができる毎日に感謝しています
「はんはん」との暮らしでは不思議なこともたくさんありましたが、それは亡くなった後も続いています
2年前の6月、関東地方で不思議な虹が現れたことがありました(2020年6月26日の昼前)
「還水平アーク」と呼ばれているその虹は、よく見られる円弧の形ではなく、空を駆け上っていくような形をしていたそうです
ただ、この虹が現れたころは、ちょうど車の運転中だったので実際に見ることはできませんでした
道すがら、すれ違う人たちが空を見上げていたので、気にはなっていたのですが、後でニュースを見るまで一体何が起きていたのか分からず終いでした
車で向かっていたのは「はんはん」の葬儀をお願いしたペット霊園で、まさに49日の法要を営んでもらう直前だったのです
きっと待ち切れなっくなった「はんはん」が法要を前に天国に駆け登って行ったのでしょうね
ずーっと我慢ばかりだった「はんはん」が最後にわがままを言ってくれたのだと思うと、なんだか嬉しくなったのを覚えています
四回忌を迎えて (2023/5/11)
「はんはん」がお母さんの腕の中で息を引き取ったのは2020年の5月11日、3年前の夜10時半頃でした。夕方から様態が悪化して、でも少し落ち着いたかなと思っていた矢先のことでした
お父さんを悲しませまいと、ちょっとだけ部屋を離れていたのを見計らったかのように
そして最後はお母さんの腕の中で逝きたかったかのように
「さようなら」を伝えるかのように何度か大きく頭をもたげ、そして「はんはん」は静かに虹の橋へと旅立っていきました
「はんはん」を亡くした悲しさに暮れた半年がすぎ、「はっち」と「はんじ」と暮らし始めると、甘える二人を見るたびに「はんはん」も本当はもっと甘えたかったんだろうなと後悔に苛まれたこともありました
「はんはん」と暮らした横浜を離れ、木更津に引っ越してきてからは「はんはん」と過ごした18年の年月も、だんだん遠い思い出のようになり始めています、それでも、たくさんの幸せをくれた「はんはん」への「ありがとう」という感謝の気持ちは薄れることはありません
最後の闘病生活のことを思い出すと、今でも悲しさがこみ上げてきますが、苦しさを耐え抜いた「はんはん」はずっと「負けるものか!」と頑張っていたはずなので、涙に暮れているわけにはいかないですね
「はんはん」の思いは「はっち」と「はんじ」がちゃんとわかっているようです、なにしろふたりは「はんはん」の生まれ変わりなのですから…
Chapter 5 ・・・≪準備中≫
「はんはん」の怪我や入院、そして闘病の思い出については、気持ちが落ち着いて筆を執れるようになってから綴っていきたいと思います